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「心的現象論」のうごき:さすが、吉本隆明ファン [吉本隆明]

予約開始をいれた、その日に6.3万円への注文が即きた。3日で10部こえた。さすがに、吉本ファンである。
わたしは、吉本ファンというのは、文化性において質が相当に高度であるとおもっている。いまさら、吉本主義になっても仕方ない時代地平で、吉本思想のエッセンスをどこかでひきうけ体内化しているからだ。大学アカデミズムへの不満なり、侮蔑なり、無関心なりがあって、ほんものをもとめているのだ。軽薄な思考への嫌悪もあり、思想のヒットパレードにのるのを回避しうる力をもっている。その感覚は貴重である。だが、たぶん自分の自己表出性と吉本思想からやってくる指示表出性との折り合いがうまくいかずに、吉本思想の普遍パワーが吉本隆明思想の個別性との間で浮遊してしまっているのではないかとおもう。私自身この浮遊感を自分へ構成するのに、インターナショナルな諸理論の領有が必要であった。いま、世界線で理論的に吉本思想をかなり自在に位置付けたり、ディスポジションできるから楽になっているが、ますます、吉本思想が最高峰のもの、いまはフーコー以上のものになって位置づいている。21世紀を世界でリードする思想になるのはまちがいない。吉本思想が過去のものだという人の、現在感覚は相当ずれている。吉本さんはお年をとられているのは、自然過程の事実、しかし、氏が表出した吉本思想は、これからだ。
吉本思想の位置づけ方はすくなくとも二つあるとおもう。ひとつは、世界最先端の地平で位置づけること、もうひとつはいま自分が生存している場所の具体において現実から思想理念の形而上界を領有することだ。意外とこれは指示性を現実化させることにつながる。
民族へ人類史の自然発展過程があった、しかし、その民族=ナショナルが、「社会」を不可避に構成したことが限界域にあるとき、言語以前、国家以前の初期条件が、いま=現在の原基として問われている。そこに「心的現象論」の界がある。
ナショナルな基準があちこちで無効になっている現在、吉本思想は確実に意味と価値を表出して作用させていく。
吉本ファンないし吉本共鳴者は、「心的現象論」を、じっと我慢して、忍耐力をもって、読み抜いたなら、かなりあちこちの点で、自分へすっきりすることに出会えるだろう。
6万円なんて、その快楽と苦衷において、安いものだ。しかも、それは吉本さんの苦闘へ報いることになっていくのだから。

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